定食屋おろポン

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経験則って危険だね。-議論のすすめかた-

例1:議論のしかた

日本人は議論が下手だとよく言われる。
外国の文化を知らないので「日本人は議論が下手か否か」は分からないが、ひとつ気になる点がある。
議論において、「円滑に話を進めるのも議論の技術」と考えられていることだ。
議論は、お互いの意見を忌憚なく発言し、論点を整理し、互いの意見が食い違うならば相違点を明確にしていくのが、もっとも効率的なやり方だ。
しかし、「もっと距離感を推し量って進めようよ」「いくら筋が通ってても、そんなストレートに『それは違う』って言われたら不愉快」といった「障害物」がそこにはある。
結果、「まあみんな大人なんだしね」と、オブラートと潤滑油を駆使してうまーく話を進める技術が必要になってくる。
実際に、オブラートと潤滑油がうまく使えなければ議論はうまくまとまらないのだから、その点では「円滑に話を進めるのも議論の技術」という文は正しい。
では、なぜオブラートと潤滑油が必要なのかを考えてみると、ひとつのシンプルな理由が見つかる。

iモードの父が言うと、僕なんかが言うよりずっと説得力があるね!*1
でもさ、議論上の意見とその人の人格って、似通ってることが多いよね。
さらに言えば、議論の進め方や口調といったものには、その人の人格が色濃く出る。
つまり、「議論と人格を同一視する」ってのは経験則としては間違ってないんだ。
だから、誰だってつい「議論と人格を同一視」しちゃう。それ自体はすごく自然なことだ。
でも、「議論と人格を同一視」してしまうのは、建設的な議論の妨げになってしまう。
なんとかしなきゃならない。
どうやってなんとかするか。
それって、訓練しかないよね。
だからこそ、義務教育で*2「意識的に、議論上の意見とその人の人格を一体化しないようにする」ことを染みつけてやらないといかんのだな。って思います。*3

*1:という発想が諸悪の根源

*2:国民全体の底上げをする訓練の場として義務教育を挙げています。大人は自分で訓練するしかない。

*3:その手段としてディベートは優れていると思います。