シグルイの最終話でなぜ三重は自害したかの国語的読解
- 作者: 山口貴由,南條範夫
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2013/09/13
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
漫画「シグルイ」の最終話でなぜ三重は自害したのか。 「シグルイ 最終回」 「シグルイ ラスト」 などで検索すると、大きく分けて2種類の回答がある。
- 三重は未だに伊良子を愛していたから
- 傀儡と化した源之助の姿に絶望を覚えたから
いわゆる受験など国語の問題として考えた時、正解は後者だ。 あくまで国語の問題として扱うため、漫画版「シグルイ」のみを取り扱うし、作者が実際にどう考えていたかではなく「作品から、作者はどう考えていると読み取れるか」に主眼をおく。
結論
- 御前試合に臨むまでに三重は源之助と心を交わしていたが、心の奥底では伊良子への想いを断ち切れずにいた
- 伊良子との試合中、源之助は虎眼の傀儡だった自分と決別した
- 源之助が伊良子に勝利し、三重の伊良子への想いは消滅した
- 伊良子の斬首を命じられ、己を殺して源之助は伊良子の首級をとる。封建社会のなかにあって、主君の傀儡であることからは逃れられぬ源之助の姿に三重は絶望を覚え、自害する
それぞれを細かくみていく。
伊良子への想いを断ち切れぬ三重
三重と源之助が心を交わすようになったことは、第八十景からありありと見て取れる。 一方で第八十一景からは、心の奥底では伊良子を愛していたであろうことも読み取れる。 第八十一景の虎口前、伊良子の逆流れで正中線を斬られた藤木の姿をみる。不安のあらわれともとれるが、伊良子の勝利を臨む心が見せた幻覚ともとれる。
斬ってくださいまし 憎い憎い 伊良子を
そもそも源之助に伊良子を斬ってほしいという三重の願いは、伊良子への想いの裏返しでもある。 伊良子への強い憎悪がまだ三重の心に残っていることは、伊良子への愛が未だにくすぶっている証左だ。
斬ってくださいまし 憎い 憎い憎い伊良子を
第一景で描かれる御前試合のイントロでは、肩を震わせながら「憎い」一回増しで伊良子への憎しみを漏らしている。
虎眼の傀儡だった自分との決別
第八十二景の最後で、源之助は刀をかつぐ。 また、第二十一景で不完全な「流れ」をして七丁念仏をあらぬ方向へ飛ばした三重も描かれる。
痩せさらばえた三重の姿と重なるような源之助。担いでいるのはやはり主君から預かった宝刀、七丁念仏だ。これは偶然ではない。
絶対に 落としてはならぬ宝刀であった
第二十一景では、三重の手から離れた七丁念仏が地面に落ちる前に、源之助が見事受け止める。 まず第一に、けして落としてはならない岩元家の大事な刀であるため。また、七丁念仏を三重が地面に落としたとなっては虎眼は三重を許さないからだ。 源之助は、宝刀と三重の両方を守った。
御前試合に戻る。 源之助はかついだ七丁念仏をいくに向かって投げる。 これは、伊良子の下段(逆流れ)を跳ね上がらせるための策だ。太刀の切っ先に反射する太陽光で目をつむるいく。いくの目を通して源之助を見ていた伊良子は、顔を歪ませながら間合いの外から逆流れをはなつ。 伊良子に勝つため、三重と結ばれるために、源之助は岩元家の宝刀を投げ捨てたのだ。
源之助は、ひとたび虎眼に命じられれば操り人形となっていた過去と決別したことを三重に示す。
消滅する伊良子への想い
源之助が勝利した時 三重の深部に潜みし「魔」は 跡形もなく消滅していた
三重に潜んでいた「魔」とは何を指すのか。
これには同じコマで描かれている白い貝殻が重要な意味を持つ。 この貝殻は、特に終盤で頻繁に登場する。
士は貝殻のごときもの 士の家に生まれたる者のなすべきは お家を守る これに尽き申す
この白い貝殻は、さかのぼって第三十六景・第三十七景であらわれる。 虎眼流道場に門下生が大勢いたころの話だ。
第三十六景で、最下層出身の伊良子が虎眼流の同胞に仲間意識を抱き始めたその矢先に、士としての覚悟を伊良子に語る源之助。*1 ここでは、貝殻は「家を守る」士としての覚悟の象徴として描かれる。 話中で直接書かれているとおり、貧農から士へと取り立ててくれた虎眼への恩に報いるためだ。
柔肌に触れることなく男は去った 透けるような白い貝殻を残して
第三十七景で、源之助は三重の寝室に忍び込み、柔肌に触れることなく貝殻を残して立ち去る。 ここでは、貝殻は源之助の真心の象徴だ。貝殻の透き通った白が、三重への真っ直ぐな愛を表している。
第八十三景の最後で描かれた白い貝殻はどちらを示しているのだろうか。 岩元家の宝刀を投げ捨て、虎眼の傀儡として三重を苦しめた過去と決別した矢先のことである。 「家を守る」ではなく、源之助の三重への真っ直ぐな愛を象徴していると見るのが妥当だ。
桜吹雪の中で心と心をつなぎ合った源之助が 乙女の胸の内に潜む何者かの存在を知らぬ筈はない
でも、「何者か」と書かれている。この「何者か」が伊良子であることは自明だ。
であればこそ、三重に潜んでいた「魔」とは、伊良子への憎悪とその裏返しである伊良子への愛を指していると考えられる。 伊良子への愛も憎悪も消え去り、三重の心に残るは源之助の愛のみ。「三重は未だに伊良子を愛していたから」自害した、という答えはこの時点で除外できる。
傀儡
ただ"士"という言葉だけが 体内で反芻していた
伊良子の首級をとるよう命じられた源之助が、葛藤の後に己を殺して断首するまでのシーンに、「傀儡」にまつわる描写が複数でてくる。
- 虎眼に拾われ、士に取り立ててもらった時の若い源之助と、それを見て微笑む虎眼
- 浜辺に落ちていた白い貝殻
- 源之助の鼻血
- 三重に伊良子の種をつけるため、同じく鼻血を垂らしながら三重の手を押さえつける源之助
- 血に染まる貝殻
このなかでは特に、三重の手を押さえつける源之助の姿は、そのまま傀儡の象徴となっている。
このシーンが登場する「第九景 傀儡」を少し細かく追ってみる。
幼き頃から嫌というほど見てきた 父の仰せとあらば意志をなくした傀儡となる高弟たち
虎眼流道場では、虎眼の言うことは絶対である。
傀儡… 男はみな傀儡
心を殺すとき、源之助は鼻血を垂らす。源之助は滅多に感情を表に出さないが、裏腹に胸の中には強い意志や情愛を宿している。その源之助が、意志や感情を押さえつけ、命じられたことを命じられたままに行う傀儡にならねばならぬとき、鼻血を垂らすのだ。*2
このときも、源之助は血を床に垂らしながら、三重が動けぬように腕を押さえつけていた。
武家の娘にとって貞操は誇りそのもの 胸の中に輝く真白き打掛
誇りを実の父親と傀儡と化した男たちに踏みにじられようとした三重は、舌をかんで自害しようと思うまでに絶望する。
だからこそ傀儡ではない伊良子に心を寄せたし、ともに生きていく源之助が傀儡であることなど耐えられない。 「傀儡」は三重のトラウマか、それ以上だ。
この象徴的なシーンが断首のシーンに挿し込まれるのは、「傀儡」こそが三重の絶望の引き金となったことを強くほのめかしている。
「源之助の”誇り”そのもの」である伊良子を、晒し首にするため断首するなど、源之助にとっては到底受け入れがたい命令だ。 しかし、世は魔人虎眼ですら社会性を放擲し得ない封建社会である。 「士」というアイデンティティーを捨て去ることができなかった源之助は、己の意志を殺し傀儡となって伊良子の首を落とす。
三重様だけは守り申す いかなる嵐にも屈しませぬ
源之助の誓いは果たされず、絶望した三重は自害した。